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CSR活動

「ポレポレ基金」活動レポート (2012年7月1日~9月30日)カフジ・ビエガ国立公園における類人猿の保護活動と環境教育
(2012年8月~10月)

去る9月4日に、ポポフ創立20周年の記念集会が開かれました。日本からはポポフ日本支部の山極寿一(京都大学)、SATREPS 地球規模課題対応国際科学技術協力のプロジェクト「野生生物と人間の共生を通じた熱帯林の生物多様性保全」をガボンで実施している竹ノ下祐二(中部学院大学)、藤田志歩(鹿児島大学)、岩田有史(中部学院大学)が参加しました。
記念式典はカフジ・ビエガ国立公園のそばにある中央科学研究所のホールで行われました。これまでポポフの活動を支えてきたメンバー、地元の人々、ポポフの経営する幼稚園、小学校、中学校の先生や生徒たち、アートセンターや苗木センターで働く人々、国立公園の保護官や監視員、ゴリラツアーのガイド、ゴリラの集団をモニターしている調査補助員、中央科学研究所の研究員や技術員など多くの人々が集まりました。今回はその式典と集会の様子をお知らせすることにしましょう。

ポポフ50周年記念式典で話に聞き入る人々ポポフ50周年記念式典で話に聞き入る人々

式典に参加した子どもたち式典に参加した子どもたち

ポポフ創設

まず、地元を代表してムワミと呼ばれる、この地域の伝統的な首長から開会の宣言があり、続いてポポフの代表ジョン・カへークワがポポフの20年の歩みについて述べました。
ゴリラツアーのガイドだった彼は、中国製のTシャツにゴリラの顔を描いて観光客に販売することを思いつき、地元の手で観光ビジネスを開始しました。ゴリラの調査をしていた山極と協力して、観光のために観察可能になっていた4群のゴリラすべての個体を識別して名前を付けました。
そして、シガニー・ウィーバーが主演した「愛は霧のかなたに」という映画の撮影に協力して得たお金を元手にしてポポフ(ポレポレ基金)を創設したのです。この映画は、隣国ルワンダの火山国立公園でマウンテンゴリラの研究と保護に生涯を捧げて亡くなったダイアン・フォッシーというアメリカ人女性の物語です。火山国立公園では、ゴリラが人間に馴れすぎていて、怒って攻撃してくる場面を撮影できません。そこでまだあまり人馴れしていないカフジでそのシーンを撮影しようとしたのです。その時、不用意にゴリラに接近し過ぎたカメラマンがシルバーバックに腿をつかまれ、肉をちぎり取られたというエピソードが残っています。
山極はフォッシーに師事し、フォッシーがゴリラの保護に熱心なあまり地元民と対立し、それがもとで命を失ったことをよく知っています。そもそもその体験がもとになり、ゴリラの保護には地元の人々の協力が不可欠であることを痛感して、ポポフの創設に協力することになったのです。
その後、この地域は内戦状態となり、観光よりも保護と環境教育を推進することに力を入れてきました。

ポポフの活動

ポポフはゴリラと人間との豊かな共生を目指すNGOで、地元民、国立公園の職員、研究者がそのメンバーです。ゴリラとその生息地が脅かされる大きな原因は、貧困と教育の不足です。そのためにまず地元に雇用を作り出し、ゴリラの保護に対する理解を子どもたちの教育を通じて促進する必要があります。ポポフはこれまでに47人の元密猟者たちをアートセンターや洋裁、学校の教師として雇用してきました。これまでに400万本の苗木を育てて近隣の村々に配り、学校を建設して幼稚園から中学校までの子どもたちの環境教育を実施してきました。アンガ中学校の卒業生は毎年75~100%国家試験に合格して、大学へ進学する資格を得ています。これらの現状をそれぞれの学級の教師が報告し、まだわずかな学費が払えずに学校に通えない子どもたちがいることを訴えました。

カフジ・ビエガ国立公園での保護活動

続いてカフジ・ビエガ国立公園の代表が、1970年に設立された国立公園の歴史を述べました。設立当初は地元の人々の生活向上をうたいながら、地元民との衝突が絶えなかったそうです。保護区になったおかげで締め出された人々が多かったからです。監視員に銃で撃たれた人や、逆に命を落とした監視員もいます。長らく公園と地元は敵対していました。ポポフの活動も長くは続かないと思っていたのに、20年も続き、毎年大きくなっていくのは見ていて驚くほかはないと語り、本来公園側がすべき仕事を担ってもらっていると感謝の言葉を述べました。
さらに、ポポフの顧問で現在ゴリラの保護を目的に国際的なNGOで働いているバサボセ・カニュニが、この地域一帯に生息するゴリラと保護の現状について述べました。彼は京都大学で博士の学位をとり、ウガンダ、ルワンダ、コンゴ民主共和国でゴリラの保護活動を実施しています。カフジの人々にとって他の地域の現況を聞くことはとても励みになったのではないかと思います。
私は1978年からカフジで調査をしてきましたので、昔のゴリラたちや調査に携わってくれた人々の写真、映像を見せて、われわれ人間の由来を知るためにゴリラという隣人を研究する意義について語りました。30数年前のゴリラたちはもうほとんど寿命を終えており、亡くなった人々も大勢います。ポポフの活動に関わっている人たちにとってはおじいさんやお父さんに当たる人ばかり。みな昔を思い出して歓声やため息が絶えませんでした。
ガボンのプロジェクトを代表して竹ノ下が現在進行中の研究と保護について語り、ガボンでもポポフと同じような地元中心のNGOを立ち上げたことを報告しました。人口密度の低いガボンではまだゴリラのすむ環境は豊かで、カフジから学んだことを実施していけばきっときっと明るい未来が開けると抱負を述べました。
最後に中央科学研究所の所長が、ポポフの活動は自然資源の保全を通じて研究活動に大きな貢献をしてくれていると感謝の言葉を述べ、感謝状をポポフへ贈りました。
それから舞台は一転して子どもたちが主役になり、メッセージを読む幼稚園児、自作の詩を朗読する小学生、密猟と保護を題材にした劇を演じる中学生など、ホールは笑いと拍手に包まれました。

感謝状の授与感謝状の授与

みんなで記念撮影みんなで記念撮影

詩を朗読する小学生詩を朗読する小学生

劇を演じる中学生劇を演じる中学生

集会の様子

その後、ベルギーの植民地時代に建てられた瀟洒なゲストハウスに集合して全員で会食し、待ちきれなくなった女性たちが裏声で歓声を上げるとみんな一斉に踊りだしました。とくに狩猟採集民だったトゥワ人の調査補助員たちは奥さんたちと輪になって、かわるがわる真ん中へ飛び込んでいく伝統的な踊りをいつまでも楽しんでいたのが強く印象に残っています。もちろん私たちもその輪に入りました。

輪になって踊るポポフのメンバー輪になって踊るポポフのメンバー

私たちも踊りに加わる私たちも踊りに加わる

ゴリラの様子

翌日は公園を訪問し、久しぶりにチマヌーカ集団のゴリラたちに会いに行きました。乾季の終わりでゴリラたちは湿地にいて、カヤツリグサを根元から引き抜いて白い髄をおいしそうに食べていました。最近は子どもがたくさん生まれていて、母親の背中に乗って興味深そうに私たちを見る赤ん坊たちがとても印象的でした。彼らが大きくなるころには、もっとこの地が豊かに平和になっていることを願わずにはいられません。

好奇心旺盛なゴリラの赤ちゃん好奇心旺盛なゴリラの赤ちゃん

母親にお乳をねだる赤ちゃん母親にお乳をねだる赤ちゃん