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CSR活動

「ポレポレ基金」活動レポート (2014年4月1日~6月30日)養魚場で初めての収穫をしました(2014年4月~7月)

戦争で変わってしまった自然とともにあるくらし

昨年、ポポフはカフジ・ビエガ国立公園の低地イテベロ(標高600~1200メートル)に活動拠点を新設したことは以前にも紹介しました。この地域は、1990年代にコンゴ民主共和国全土が戦争の火の手に包まれる前、とても豊かな自然に恵まれていました。ゾウ、バッファロー、ボンゴ、シタトゥンガなど大型の哺乳動物があふれ、ゴリラ、チンパンジーをはじめ20種類近くの霊長類や、ここにしか見られない美しいコンゴクジャクが生息していました。人口密度も低く、人々は気ままに森を開墾して焼け畑農業を営み、狩猟と漁労を併用しながら暮していました。
キンビリキッティと呼ばれる、この地方の年中行事があります。子どもたちが10~13歳になると、村の古老たちに連れられて森の奥深くに旅をします。村とは隔絶された河のほとりで3カ月を過ごし、その間に森で生きる技術や土地の文化に従って生きる知恵を古老たちから学ぶのです。昼は狩猟と採集に出掛け、夜はたき火を囲みながら古老の語る昔話に耳を傾けます。古老たちはみな、100以上の物語を知っています。話の中には森の動物たちや昆虫や鳥たちが登場します。主人公はいつも、一見か弱そうに見えるカメやカモシカの仲間です。それが高慢ちきなヒョウや、威張り散らしているバッファローを知恵を働かせてやっつける。そういった話の中に、子どもたちは自然や人々を尊重して生きる態度を身につけるのです。
しかし、1994年に隣国ルワンダで内戦が起こり、100万人近い人々が虐殺され、数100万人の人々がこのキブ州に逃げ込んできました。多くは難民キャンプに収容されましたが、1996年にこの地で戦争が勃発し、難民と兵隊たちが入り乱れて森へとなだれ込みました。あちこちで戦闘が始まり、多くの人々が村を避けて森に隠れ住み、たくさんの野生動物が食料として狩りたてられました。21世紀になって徐々に平和はもどってきたものの、時折民兵たちが村を襲って略奪を繰り返しています。

くらしの再建とゴリラの保護

私たち京都大学のチームは1988~1991年にかけてここで調査を行い、低地のゴリラが高地カフジ(標高1800~1300メートル)とずいぶん異なる特徴をもつことを明らかにしました。フルーツの豊富な低地では、ゴリラたちが毎日多様なフルーツを食べ、高地の2~3倍の距離を歩いて暮らしています。木の上によくベッドを作ることや、アリやシロアリなどの昆虫もよく食べていることもわかってきました。しかし、内戦後はまだ保護区で監視員が活動を再開しておらず、十分な調査は行われていません。あちこちでゾウやゴリラの姿や痕跡が消滅したという報告が相次いでいるのです。
そこで、ポポフはこの地にゴリラをはじめとする野生動物を保全するための拠点を設け、まず村人たちに保護の必要性を理解してもらうことにしたのです。昨年の10月以来、これまでに7回にわたって村人たちと話し合いの機会をもち、高地部のポポフの活動を紹介し、いっしょに養殖池を作ることを提案しました。野生動物を捕らえないために、代替の動物タンパク源として増殖率の高いテラピアを養殖しようというわけです。多くの村人がこの養殖池作成に協力し、今までに40平方メートルの養殖池を6つ作りました。2014年中に18の養殖池を作る予定です。幼魚のテラピアは放してから収穫するまで6カ月かかり、今年の4月にやっと収穫ができました。みんな大喜びです。支所の活動は順調にスタートしています。
高地のカフジでは、植林活動や小家畜(ヤギ、ブタ、マーモット)増産活動が功を奏し、人々が保護区に入ることがめったになくなりました。人付けされたチマヌーカ集団も平和に暮らしており、増え始めた観光客を機嫌よく受け入れてくれています。やんちゃな子どもゴリラたちの遊ぶ姿が人々の笑いを誘います。ポポフの代表者ジョン・カヘークワが始めた他集団の人付けも順調に進んでおり、ムプングウェ集団のゴリラたちが森の奥から顔を出すようになりました。また、近くの集団からメスが4頭も移ってきてにぎやかになっています。近々子どもも生まれるでしょう。とても楽しみにしています。

養魚池でテラピアを収穫する養魚池でテラピアを収穫する

みんなで魚を料理して食べるみんなで魚を料理して食べる

低地のイテベロでゴリラを保護する集会を開く低地のイテベロでゴリラを保護する集会を開く

頼れる父親のチマヌーカ頼れる父親のチマヌーカ

やんちゃな双子のゴリラやんちゃな双子のゴリラ