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CSR活動

「ポレポレ基金」活動レポート(2017年1月1日~3月31日)エネゴリくんのクリック募金ありがとう:ゴリラの国の歴史と未来

ポレポレ基金日本支部 山極寿一 2017年3月

これまで5年半にわたって、エネゴリくんのクリック募金から大きなご支援をいただきました。おかげさまで、コンゴ民主共和国カフジ・ビエガ国立公園のゴリラとその周辺に住む住民との、平和で調和ある暮らしを実現させることができました。深く感謝申し上げます。

年老いたムシャムカ 年老いたムシャムカ

名前が付けられた最初のゴリラ

カフジのゴリラに名前をつけたのは、1960年代の終わりにゴリラの保護と観光化を試みたベルギー人のアドリアン・デスクリベールが最初です。それまでホワイトハンターとして名を馳せていたデスクリベールは、ゾウを追跡する勢子として雇っていたピグミーの人たちを使ってゴリラに接近を図りました。そして、初めて人間との接触を許容してくれたオスゴリラに、カシミールというドイツ人の研究者の名前をつけました。カシミールはカフジで最初にゴリラの生態を調べた研究者です。ゴリラのカシミールは当時かなりの老齢でまもなく寿命を終え、息子のマエシェが後を継ぎました。1970年にカフジは国立公園となり、ゴリラ観光は政府の手に委ねられ、ゴリラの名前も現地名がつけられるようになります。1978年に私が調査を開始したとき、観光客が訪れるゴリラの集団は二つに増え、それぞれリーダーオスの名前を取ってマエシェ集団、ムシャムカ集団と名付けられていました。マエシェはカシミールの息子です。

カシミールの息子マエシェカシミールの息子マエシェ

マエシェの息子チマヌーカマエシェの息子チマヌーカ

村人がゴリラを名前で呼ぶようになる

しかし、当時名前がついていたのは目立つオスばかりで、メスや子どもは無名のままでした。そこで、ゴリラのツアーガイドをしていたジョン・カヘークワといっしょにすべてのゴリラに名前をつけ始めました。大変時間のかかる作業でしたが、二つの集団のほとんどすべてのゴリラに名前をつけることができました。この効果は抜群で、ゴリラツアーのガイドやトラッカーばかりでなく、公園の監視員や村人たちまでゴリラを名前で呼ぶようになりました。それまでゴリラは外国人が見にくる観光の目玉であることは知られていましたが、地元の人々は公園にむやみに立ち入ることができず、ゴリラにはなじみが薄かったのです。それが名前で呼ぶことによって、にわかに身近に感じられるようになったのです。マエシェの姿はお札に印刷されて、ゴリラは国の人気者となり、1980年代はカフジにたくさんの観光客がやってくるようになりました。

ザイール共和国のお札になったマエシェ集団のゴリラたち ザイール共和国のお札になったマエシェ集団のゴリラたち

地元民による観光を始める

ジョンは観光客のガイドをしたり、外国のテレビ局の撮影を手伝ったりしているうちに、地元の人々と公園との対立に悩むようになりました。ゴリラや野生動物を保護するために地元が払っている努力や犠牲に、観光は何も利益をもたらしくれないという不満です。そこで、ジョンは観光客をゴリラ以外の対象、すなわち山歩きや他の動植物目当てのトレッキング、村の暮らしや文化の紹介へ向けようと考えました。彼はガイドや撮影補助でためたお金を資金にして1992年にポレポレ基金(ポポフ)を立ち上げ、村にキャンプサイトとアートセンターを開設して、地元民の手による観光事業を始めました。

最初のアートセンターと地元のアーティストのダヴィッド・ビシームワ 最初のアートセンターと地元のアーティストのダヴィッド・ビシームワ

さらに、村人の保護区の不法利用を軽減するため、苗木センターを作って植樹活動を推進するとともに、幼稚園、小学校、中学校をたてて、環境教育を実施することにしました。私は最初からポポフの活動に顧問としてかかわり、1993年にはポポフ日本支部を立ち上げて現地の活動を支援するようになりました。

苗木センターで苗木を育てるポポフ環境学級の生徒たち 苗木センターで苗木を育てるポポフ環境学級の生徒たち

内乱でゴリラも行方知れずに

ポポフの活動はたくさんの村人を巻き込み、期待一杯で出発しましたが、1994年に隣国ルワンダからの難民の移入、1996年にはこの地で内乱が勃発し、政治的に極めて不安定になりました。多くの人々が銃火の中で亡くなり、略奪や強盗などの犯罪が多発して治安が悪化しました。ポポフも事務所を襲撃されたり、メンバーが保護区で殺されたり、さらわれたりしました。人々に慣れ、観光客を受け入れていた4つのグループのゴリラたちは、兵士たちに銃で撃たれ、ばらばらになって、ほとんどのゴリラが行方知れずとなりました。ポポフは公園当局と協力して、密猟をしていた地元民たちに呼びかけ、ゴリラたちを将来に残して次世代の財産にしようと訴えました。

ムシャム化の息子の忍者が群れを出て作った集団のゴリラたち ムシャムカの息子のニンジャが群れを出て作った集団のゴリラたち

内乱を乗り越えて

それが功を奏し、密猟は止み、多くの村人たちがポポフに協力してくれるようになりました。でも、治安の悪化で観光客の足は途絶え、地元に外貨はもたらされなくなりました。そこで、ポポフは苗木センターを増設して植樹活動に拍車をかけ、養魚池を造り、ブタやヤギなどの家畜を配って村人たちのたんぱく質不足を解消して密猟を抑えるように働きかけました。これらの活動には環境教育学級の生徒たちに参加してもらい、苗木センターや養魚池の管理、収穫物の村への配布、植樹のケアを実施しています。子どもたちには、自分たちで管理できるマーモットを配り、動物たんぱくの摂取を心がけてもらうことにしました。
こうした活動を、海外の指導を受けずにポポフの地元の手だけで実行してきたことは驚くべきことです。ゴリラの個体数調査も、京都大学で学位をとったオーグスチン・カニュニ・バサボセさんと中央科学研究所のスタッフの手で継続して行われています。おかげさまで、観光用に慣らしたゴリラだけでなく、山地部600平方キロメートルに生息するゴリラの現況が把握できるようになっています。これらの成果はエネゴリくんのクリック募金からの辛抱強いご寄付の賜物であり、ゴリラが地元の宝であり続けていることをとてもうれしく思っています。ゴリラたちはきっと将来、地元に大きな利益と誇りをもたらしくれることでしょう。

チマヌーカ集団のメスと赤ん坊 チマヌーカ集団のメスと赤ん坊

新設された図書館が未来の足がかりに

最近では、エネゴリくんのクリック募金によって中学校に図書館が建設され、子どもたちが自由に本を読めるようになりました。村にも街にもほとんど本屋のないこの地方では、子どもたちが勉強しようにも教材が入手できません。これから徐々に本をそろえて、子どもたちが多様な世界を知り、自分の夢をふくらませる場所にしていきたいと思っています。また、ここは子どもたちだけでなく、村人たちや外からの訪問者の集う場所にもなります。ここで、多くの新しい知識を交換し、アフリカの熱帯雨林に広がる悠久の自然の中で人間がどう振舞っていくべきかを、じっくりと考えてほしいと思っています。
こんなすてきな活動を実現させていただいたエネゴリくんのクリック募金に、心から感謝します。ありがとうございました。

ポポフの中学校に建てた図書館 ポポフの中学校に建てた図書館

子どもたちはみんなゴリラが大好き 子どもたちはみんなゴリラが大好き