新しい「ENEOS」誕生までのあゆみ

1930・1940年代

1933年 ガソリンガール

昭和初期、給油所の店頭では、若い女性スタッフが和服で給油を行うのが流行し、「ガソリンガール(スタンドガール)」と呼ばれていました。ガソリンガールは「職業婦人」の花形職種の一つであり、若い女性たちの憧れの的だったそうです。


1933年(昭和8年)の給油所店頭

この時代の出来事 1931年:満州事変勃発,1937年:日中戦争勃発,1941年:太平洋戦争勃発,1945年:第2次世界大戦終結,1949年:湯川秀樹が日本人初のノーベル賞受賞

1937年 富士桜マークでの配給業務

1937年(昭和12年)、日中戦争が勃発。日本はその後、急速に「戦時体制」に突入していきます。石油製品は配給制となり、配給体制を確立するために、各石油会社の共同出資により石油共販(株)が設立されました。精製と販売は分離され、「富士桜マーク」を掲げる石油共販(株)のもと配給業務を行っていました。

1949年 カルテックスマークの登場

敗戦・・・・。終戦後のわが国石油会社が進駐軍から許可されたのは、国産原油の精製のみ。原油と石油製品の輸入に関与することは認められず、事業活動が著しく制限されます。そのため各社とも、復興への希望を胸の奥に秘めながら、靴墨やポマード、化粧品などの「特殊製品」と呼ばれる製品を生産し、事業を継続しました。

日本石油は占領政策の変更を見越して、カルテックス※との提携交渉を開始し、1949年(昭和24年)3月、同社と「石油製品委託販売契約」を締結。これを契機に、店頭には、カルテックスの「赤い星」マークが登場しました。


1949年(昭和24年)当時のカルテックスマークの第1号となったSS

※米国メジャーのカリフォルニア・スタンダード社(後のシェブロン)とテキサス社(後のテキサコ)が東半球全域で共同事業を実施するため折半出資で設立。

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