新しい「ENEOS」誕生までのあゆみ

1950・1960年代

1950年 ニッコー石油

日本鉱業では、昭和25年(1950年)以降、「ニッコー石油」のブランドで石油製品を販売していました。中央の輪形は日本鉱業の社章で、創業者・久原房之助が自ら考案・決定したものといわれており、「太陽の中に月が入った形(金環食)」を図案化しています。日月は悠久を、円は無限かつ円満を表すことから、永遠の発展を象徴しており、JXTGグループが発足するまで、日鉱金属が社章として使用していました※。日本鉱業は、昭和36年(1961年)、水島製油所の操業を機に「サボテン」を図案化した「カクタスマーク」に給油所のシンボルマークを変更します。


1950年代(推定)のニッコー石油の給油所

※現在もJX金属の商品ブランドとして使用されています。

この時代の出来事 1951年:サンフランシスコ講和条約締結,1960年:カラーテレビの放送開始,1961年:ソ連、初の有人宇宙飛行に成功,1964年:東京オリンピック開催,1969年:東名高速道路全線開通

1955年 高度経済成長期

昭和30年代(1955~64年)に入ると自動車の数も急速に増加しはじめます。三菱石油の魚藍坂給油所は、当時、「東洋一の規模と設備」と呼ばれていました。また、主要幹線道路には、各社の給油所が軒を並べる所も増えてきます。写真(右)は、カルテックスマークの日石、共同石油の前身の一つである「アウル(フクロウ)マーク」のアジア石油などの給油所が同時に写っている、貴重な1枚です。


1956年(昭和31年)当時、東洋一と謳(うた)われた魚藍坂給油所(東京・港区)


1961年(昭和36年)当時の川崎市内の様子

1960年 九州石油の誕生

1960年(昭和35年)九州石油が設立されました。シンボルマークのデザインを社内公募したところ、製油所所在地の地名である「鶴崎」にちなみ、「鶴」をベースにすることが内定。マークの名称は、「CRANE(つる)」と「STORK(こうのとり)」の2案が最終候補となったものの、「ストーク」という発音が力強いこと、こうのとりは幸せを運ぶ鳥として親しまれていることなどから「STORK」に決定。吉兆の鶴の絵柄の下にSTORKの文字を配した「STORK」マークが完成しました。

原型「CRANE」マーク

決定「STORK」マーク
最終候補に残った「CRANE」マーク(上)と決定した「STORK」マーク(下)

1965年 共同石油の誕生

1965年(昭和40年)8月、国策により、日本鉱業を筆頭にアジア石油、東亜石油の販売部門を統合し、共同石油が誕生しました。共石マークの中央に位置する赤い円は「永遠に燃え続けるエネルギー」を表現し、太陽・日の丸・民族会社を象徴しています。円を囲む青い線は、ガソリンの「G」をデザイン化したもので、ハイウエーを表現。カーブの流動感、円を囲んで引き締める緊張感、外へ向かう2本の線がスピード・誠実・発展を意味しています。

  1. 日本鉱業(カクタスマーク)
  2. アジア石油(アウルマーク)
  3. 東亜石油(オストリッチマーク)


全国で最初に共石カラーに塗装されたSS(東京・大田区)

1966年 給油所からSS(サービスステーション)へ

1966年(昭和41年)、日本石油の「SS(サービスステーション)」に「Dr.Drive」のルーツともいえる「日石チューンナップ」が登場!店頭には「スパナ印」の看板が掲げられ、軽整備や、タイヤ・バッテリー・アクセサリーなどを積極的に販売するようになりました。「サービスステーション」という言葉が広く使われるようになったのも、このころのようです。

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